【中通】「おいしい」を届ける!秋田市民市場の歴史(その1)


秋田市民市場のはじまりは戦後の青空市場でした。戦後の食糧不足、物資不足の中秋田駅前は行商人らで活気付いていました。

鉄道を利用して八森、男鹿、八郎潟周辺の地域からやってくる行商人らはブリキ缶で魚や乾物を、県南からは農家が野菜や果物を担いでここ市場へ売りに来ていたのです。

こうした地方からの行商人は通称ガンガン部隊と呼ばれていました。

昭和39年頃のガンガン部隊

(ガンガン部隊とは、昭和20年から40年にかけて活躍した行商人。背負っていたブリキ缶の中身は八郎潟で獲れる白魚やワカサギ、ゴリなどの小魚や乾物。当時の秋田県民にとって貴重なタンパク質源であったそう。)

こうして自然発生的に集まった行商人らは水産物や青果物、日用雑貨などを格安で販売する「朝倉市場」を形成したのです。

この朝倉市場が現在の秋田市民市場の前身となっています!

昭和35年頃

その後戦後復興期を迎え、人々の消費意欲が高まっていた時代となりました。第16回国民体育大会「秋田まごころ国体」の開催を控えていた昭和36年に秋田駅前の商店街が整備され、“戦後の町”が大きく生まれ変わろうとしていました。

こうした時代の流れを受けて、充実した組織づくりや事業の拡大を目指して昭和37年4月に商栄会のメンバーが中心となって組合員285名で、「協同組合朝倉市民市場」(その後、現名称「協同組合秋田市民市場に変更)を設立しました。

昭和37年頃の創立祝賀会

組合の設立によって、私設市場の店舗と土地を一括で購入し、共同で市場の拡大へと乗り出したのです!

今回は秋田市民市場のはじまりをお伝えしました!こんなにも長い歴史があったんですね…!

また、秋田市民市場のなが~い歴史のつづきをお伝えしますのでお楽しみに!

秋田市民市場
住所:秋田市中通4丁目7-35
電話番号:018-833-1855
営業時間:5:00~18:00
定休日:日曜日

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