【川尻】江戸時代の有名な俳人

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今回は吉川五明翁という人物について紹介させていただきたいと思います。

「吉川五明翁」は久保田城下の大商人で那波祐祥の五男で幼い頃は伊五郎、庄九郎といい、最後は宗七郎と名前を何度も改めました。六代目総右衛門が未成年だったことから、三代目吉川総右衛門京順の養子となって、宗家(ある一族、一門において正嫡の家系・本家)の家業を継ぎ、あとになって総右衛門が成長し独立したので分家して、自らの子どもである伊右衛門に家を継がせて隠居(家督を譲り、定職を離れること)しました。

「吉川五明翁」は秋田俳諧の中興の祖(衰退し危機的状況に陥ったものを再び興して盛んにした人)として有名であり、俳号(作者名・ペンネーム)を五明、虫二房二世、鶴頭叟などとしていて、小夜庵を作り、そこで俳句を作ったと言われています。この小夜庵が以前に紹介した一乗院の隣地にあったそうです。現在は取り壊されてしまっています。

寛政12年初夏、藩主義和公が鷹狩りのついでに、小夜庵に立ち寄った時、

『我庵と 思はれぬ風の 薫り哉』

と詠んでいます。

一乗院

「吉川五明翁」は享和3年に73歳で亡くなられ八橋帰命寺に葬られています。また、一番知られている3つの句は碑が建てられたそうです。

『日向あり 日陰ありて 芭蕉静かなり』

八橋の宝塔寺境内に吉川五明翁の遺族と門弟たちが建てた句碑があります。

『降る中に 降り込む音や 小夜時雨』

明治35年吉川五明翁100回忌に川尻上野の小夜庵遺跡に句碑が建てられていたそうですが、遺跡が道路拡張のために取り払われた際に、残念ながら行方不明となってしまっています。

『鳥の糞 地に音高し 夏木立』

川尻総社神社境内に句碑があったそうですが、こちらも残念ながら行方不明となっています。

江戸時代の俳人が川尻にいらっしゃったということを初めて知って私も驚きました。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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