【川尻】総社の森と総社神社~続編~

まちプラあきた中央のHP をご覧いただきありがとうございます。

今回は前回に引き続き、川尻のシンボルである総社神社について紹介させていただきたいと思います。

前回の投稿もあわせてご覧ください。

【川尻】総社の森と総社神社

総社神社、実は、祭神はどなたかよく聞かれることがあります。

このお社は聖武天皇の神亀元年(724年)、現在の千秋公園に創建されました。当時、その地には大獄山小獄山公明山の3つの山があり、三森山または三獄山と称していました。総社神社が三森山神社と呼ばれていたのはこのためだったんですね。

山頂それぞれ総社宮に大巳貴神、事代主神、味鉗高彦根神御鎮座、神明宮に天照皇大神、農受大明神御鎮座、末社宮にもろもろの神を祭っていました。

慶長7年(1602年)常陸の佐竹が秋田に転封になり、その居城を久保田の三森山と定めたことにより、三森山の神明宮、総社宮、末社宮を楢山村下浜(秋田市楢山川口境)に遷座し合祀しました。しかし、下浜の地は低地多湿で神地としてはふさわしくなかったといいます。

その後元禄7年(1694年)川尻の現在地に社地を得て、宝永4年(1707年)社殿を完成し遷座しました。

社殿は神殿が神明造り(伊勢神宮正殿の建築様式)大社造り(出雲大社本殿の建築様式)の二社と拝殿一棟でしたが、昭和6年5月15日の大火で焼失、同年11月に現在の神明造りの社殿を再建しました。

 

秋田藩内でも重要な社として、明治には県社に列格されるなど、境内は香雲の霞む森樹に囲まれて、今なお人々の崇敬が篤い神社となっています。

最後まで読んでいただきありがとうございました。

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