【築山】築山の深い歴史について

みなさんこんにちは😊3代目PR大使の古川心楓です!初めて記事を書くということですごく緊張していますが張り切って書いていきたいと思います!今回の取材テーマは担当地域の築山についてです!ちょっと堅苦しい感じがするかもしれませんがゆる〜く、楽しく築山の深〜い歴史をお伝えします💓取材は楢山コミセンで佐々木さんに取材してきました!

●まず1つめ!みなさん築山地区ってどこからどこまでか知っていますか?私はさっぱりわかりません!!笑大雑把にいうと北が南通亀の町の手前まで、西が丁度イオン中央店の手前、東に行くと一つ森公園の駐車場、南に行くと城南中学校前のバス停の通りまでが築山地区です! これだけ言われてもまだ分からないですよね…🌀築山の区域のお話を聞いた時、築山地区だけあって結構広いんだな〜と思いました💌一つ森公園の近くまで行くんですね💭これから”え!ここも築山なの!?”ってところにもたっくさん取材していきたいと思ってますので月2回の投稿をお楽しみに!😻

●自然

学区が旧町名地番や、旧通路などによって構成されたこともあって、現在の住居表示の町名地番での区画では入り組んだものになっているようです✨これも築山学区の歴史の長さを物語っているようですよね〜📖地形的には全体的に土地が低く、昔はよく水害に悩まされていたとか…😔地質的には秋田市そのものが雄物川沖積平野で、沖積平野の特徴は、砂利層の多いことだそうです!このことは、現在の築山小学校の体育館を作るときのボーリング検査の結果でも現れていたそうです🏫

●暮らしの様子

築山地区は『住居地域』になっていて今も昔も変わらないようです🏡今は高齢者の方が多いようで、高齢者の方向けのイベントなんかが催されていたりします!また、お店は自家営業が多いようです!実際に築山地区に行ってみて、田畑は少ない感じがしましたが、農地や田畑はだんだん宅地化されていったようで、昔はもう少し農家さんもいらっしゃったようです🌤高層ビルや大きな商業施設などは見受けられなかったので住民の方同士仲が良く穏やかなイメージでした💟

●地区の歴史

この築山地区は、昔は沼などの多い芦の茂った低湿地帯でしたが、1673年に3年がかりで富士山の土で埋め立てて屋敷割をし、武士や徒士たちの住居地だったそうです!地区内には旧藩政時代の主要道路が多く、たとえば登町、入川橋通登町、牛島橋通りなどもその一つだったようです!

 

今回はこの辺でしつれいします!最近は暑い日が続いているので、みなさんこの夏乗り切りましょう!それではまた次の投稿でお会いしましょう!

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