【保戸野】保戸野の歴史

こんにちは、
本日の投稿は、保戸野の歴史の紹介をします。

やっぱり地域を知るには、歴史からってことで
保戸野の歴史の流れがわかるように概要を今回はざざっと紹介します!

江戸時代の城下町

秋田藩久保田(主に現在の秋田中央地域)は、お城(現在の千秋公園)を中心として城下町がありました。

保戸野地区はこの城下町の西側に位置し、武士が住む武士町と商人が暮らす職人町の二つの性格を持つ地域でした。

ちなみに当時の保戸野を町別で分けると、

通町、鉄砲町、中町、川反町、本町、すわ町、大工町、鷹匠町、台所町、八丁、金砂町、北の丸、中島町、愛宕(あたご)町、新橋町、新町の16町です!

いや、おおいですね…

それぞれに役割や住む人の階級を分けることで城下町を形作っていたようです!

各町ごとで歴史の背景がことなるので「まち歩き」のときに細かいところも紹介していこうと思います。

 

保戸野の変容

現在の保戸野は大部分が住宅地ですよね。

ですが、保戸野は昔から住宅地というわけではなく、住宅地になったのは最近なんです!

戦国時代の保戸野は「純農地」でした!!(初めて聞いた単語、、)

紛れもない農地だったようです。

その後、江戸時代上記にも書いた城下町が敷かれ整備されていきます。

城下町として整備された後、明治になり社会変化(いわゆる文明開花?)が行われた後もしばらくは城下町の町割りが残っていました。

そして昭和になると、秋田で「国体」が開かれることになり、それを機に保戸野は現在の一大住宅地へと姿を変えることになります。

 

今回は、城下町の歴史と保戸野の形の変化についてまとめました。

わかりやすかったでしょうか?

要約して書いたので簡単になりましたが、
少しでもイメージして頂けたら幸いです。

次回は、今は無き秋田市民の足として愛されていた「路面電車」についてまとめたいと思います!

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