泉を知る

泉の起源

定かな文献があるわけではないが、村の名前としては江戸時代以前は「泉郷村」以後は「泉村」と史記にある。泉山(五庵山)から湧き出る豊富な水量は、国替え後の佐竹義宣によって(天徳寺が泉村に移転建造されたのが1625年)泉地帯の堰が改修・延長され、広く水田地帯の開発が進んでいった様子が記述されている。

泉小学校の前身

泉一ノ坪に明治7年5月に創立された「北泉学校跡地」の標柱があり、明治13年に校名を南秋田郡第八学区・泉小学校と改称して存在していた記録がある。

住宅地建設前の泉地区

泉地区に住宅が建ち始めたのは昭和30年代後半であったが、それ以前は一面が田圃であった。高層建造物がなかったから遠くの高清水公園や楢山地区の家並みの風景が見られた。

泉の東側、外旭川水口には秋田鉄道管理局管内随一の「操車場」があり、昭和39年には貨物専用駅として「秋田操駅」と改称し、同40年には全面開業した。その敷地は後年には上り西部の一部を住宅用に分譲。泉菅野ニュータウンとして住宅や福祉施設の建設が行われ現在に至っている。

泉学区の形成・発展

昭和54年に新たに泉小学校が創立された。これに伴い学区の関係諸団体、泉中学校、泉地区コミセン等の公共機関が次々と創設され、地域の発展に大きく貢献した。

昭和51年の土地区画整理事業をが24年の時を経て平成11年に完成し、閑静な住宅街になった。同時に、ハミングロード(新緑の道・桜の道・果実の道)も完成し、近隣公園、街区公園の充実と合わせて住みやすい住宅地になった。平成元年から続いている「泉の夏まつり」は手作りの地域祭りとしては県内最大級となっている。

福祉施設の充実、泉外旭川駅の令和3年3月の開業が予定されており、秋田市の中心住宅地としてますますの発展が期待されている。