川尻を知る

川尻の歴史

地域のシンボル:総社神社

川尻は古くから川尻村と呼ばれていたが、明治22年町村制により南秋田郡川尻村として発足した。その後大正10年頃から秋田市との合併が打診され交渉の結果大正15年4月に秋田市に編入され秋田市川尻町となった。当時の人口は2,818人、戸数は553戸であった。

現在川尻地区内には、裁判所、気象台等の国の出先機関は集中し、さらに新川町には秋田裁判所があり、また、秋田市水道局・文化会館・市立秋田総合病院などの施設が存在し、秋田魁新報社社屋もあって秋田市の中心的な役割を担っている。現在裁判所・市立病院の立替計画が進行している。

「川尻」の由来

「川尻」という地名はあまりめずらしいものではなく、全国各地に「川尻」という地名は存在しています。「川」の「尻」と書くので、大きな川の上流から見たときの末端か、下流から見たときの上流に向かう水運の末端のどちらかの意味が由来であることが多いです。

 わたしたちの秋田市「川尻」町という町名には「雄物川」が関係しているのではないかと考えられます。「川尻」は古くから「川尻村」と呼ばれていました。明治22年の町村制により南秋田郡川尻村という名前を経て、大正15年に秋田市に編入され現在の秋田市川尻町となりました。

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