川尻の名所
総社神社・総社の森

川尻氏の氏神としれ神明山(千秋公園台地)に祀られていたが、久保田城の築城に際して楢山の下浜に移り、宝永4年(1707年)に現在地に遷座した。
伊勢神宮の多くの神を祭神とするので「総社」と名付けられた。
境内には地元の画伯が描く絵との大絵馬が掲げられている。
総社の森は緑したたるケヤキの古木を中心に森をなし、現在「総社神社街区公園」として住民に清々しさと安らぎを与えている。
また公園近くに「まとい工房 南天」があり、纏のミニチュアを作成し販売をしている。
神社に伝わる古記録によると、この神ああの創祀は神亀元年(724年)の聖武天皇の時代と言われている。ある日の夜に、現在の千秋公園の地に突然神光が飛来し真昼のような輝きを発して山河は動鳴したと言われています。人々はこれを大己貴神の影響だと考え
「今ここに一宮を創建し祀らば、国中安泰・諸人守護・五穀豊穣といたさん」
という神勅が下された。これが起源とされている。
【詳細情報】
総社神社・総社の森
〒010-0946 秋田県秋田市川尻総社町14−6
TEL: 018-863-0930
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珍宝神社

かつての毘沙門町、川尻上野町の住宅街の比較的大きい通りに面している神社。神社の境内には様々な石碑や標柱があって、中でも秋田市文化財に指定されている「倉稲魂神」の石碑が、現在の秋田県職員住宅川尻公舎付近にあった米倉からここに移されました。倉稲魂神(うかのみたまのみこと)は、宇迦之御魂神とも書き、日本書紀や古事記に登場する、五穀や食物をつかさどる神様だそう。(出典:コトバンク)
当時川尻村は旭川と雄物川の合流点にあったことで、重要な渡し場として雄勝・平鹿・仙北の3郡から、籾米(もみごめ)や日常物資などが多く運ばれてきました。五十間四方(約90m×90m)にもわたる藩の米を貯蔵した米倉があったようです。
ここに籾米を収納する際に、いくら気をつけていても、米や籾が道にこぼれてしまいました。このこぼれてしまった米や籾の供養のためにと、関係者の人(約60人)の募金によって天保10年(1839年)にこの石碑が建てられたそうです。1粒の米でも貴重であった当時が偲ばれます。


他にも、戦争に多くの若者が兵役にかり出された時代に、「帰らぬ者を悲しみ、必ず何事にも負けず、帰って来いよ」と祈りを託してたてられたといわれている「必勝祈願碑」や、1800年頃、廻船業を営んでいた者が中心となり、難波事故が起きる危険な場所の岩を砕いて、船の安全を願った「金毘羅大権現碑」もおかれています。


