旭南地区を知る

旭南地域の歴史

 旭南地区はその東側から南側にかけて、風情があり市民に愛される川「旭川」が隣接して流れており、江戸時代参勤交代のルートとして、「羽州街道」や、遠く北陸街道を経て旧中山道にも繋がる「酒田街道(北国街道)」等の歴史的評価の高い街道があり人や物の移動が盛んでした。 

明治38年に奥羽線が全線開通しましたが、昭和13年雄物川放水路が完成するまでは雄物川と旭川を利用した舟運が主で、仙北方面から米穀類・木炭・薪等の生活物資を刈穂橋近くの船着場で荷上げするという時代が長く続いていました。 

これにより馬口労町をはじめ鍛冶町、酒田町、城町、新城町、川口、室町などこの界隈全体が関連産業で大変な賑わいとなり、学校教育も盛んで明治7年室町に室閭(むろ)学校、上川口に河陽学校が開校し、明治9年には鍛冶町上川反に遐通(かじ)学校が開校されました。

そして明治17年3校を統合し旭南小学校(第一次)が開校、明治22年秋田市誕生後の明治42年には秋田市立旭南小学校(第二次)が開校しております。

明治10年には馬口労町戸長役場が松倉家に置かれています。
現在の馬口労町通り(旭南小学校通り)が酒田街道(北国街道)となるわけですが、羽州街道との合流点が旭川にかかる刈穂橋の西側にあり、酒田街道(北国街道)の最終地点でもあることから街道ファンの聖地となっています。

次ページでは旭南地域の伝統行事を紹介します

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