今回紹介させていただくのは「川尻組」です。
川尻組(もと六徳組)とは明治10年頃につくられた養蚕組合のことです。川尻村、秋田町、新屋、土崎の一部の養蚕家の組合で、組合員は150名。主に蚕卵紙の輸出をしていました。蚕卵紙とは、蚕の卵が産みつけられている厚紙のことです。
はじめは、横浜の商社を通じて、ヨーロッパに輸出していましたが、当時、全国的に粗悪品が多く、日本産のものも外国に対しては信用がなかなか得られませんでした。
しかし、川尻組の蚕卵紙は優良品として名を知らしめ、日本一すなわち世界一の評判を得ました。特にイタリアの商人たちから大量に買いとられることになります。
その頃ヨーロッパでは在来種の蚕に伝染病が発生していて、外来種の蚕の輸入が切実に需要されていたというのも、理由の一つです。
いずれ、日本産の蚕卵紙4万6千枚のうち、川尻組のもので1万1千枚もイタリアに輸出されることになります。

明治14年9月17日、養蚕業奨励のために明治天皇が川尻にお立ち寄りになりました。この石碑は大正天皇御即位大礼記念事業として、大正6年に川尻組が建てたものです。秋田市指定の文化財になっています。
「秋晴れの好天に恵まれ、玉座からは勝平山・男鹿山を望み、眼前には雄物川の清流が流れ、前方には鳥海山が眺められ、実に見事な風景であった」と書き記し残されています。
記事をみて、はじめて知る事の多いことに感動です。これからも発信し続けてくださいね。