【寺内小】全良寺官修墓地(ぜんりょうじかんしゅうぼち)清掃に参加しました

皆さんこんにちは!まちプラあきた寺内小地区PR大使の伊藤ひなたです。

今はお盆の時期ですね。皆さんはお墓や仏壇を綺麗に掃除したり、ご先祖様を敬い思い出を懐かしんでいる頃でしょうか?

故人を敬う心を持ち続け、日本の慣習であるお盆を守っていきたいですね。

今回は8月6日に実施された八橋五区町内会の全良寺官修墓地清掃の様子をご紹介します!

戊辰戦争という歴史を胸に刻み、戦争で亡くなった方々を敬う心を体現している活動だと実感しました。

最後までぜひご覧ください😊

全良寺官修墓地(ぜんりょうじかんしゅうぼち)とは

全良寺とは秋田市公式サイトによると、臨済宗(禅宗)のお寺であり、近代的な外観に対して伝統的な堂内には国の重要文化財である阿弥陀如来坐像(あみだにょらいざぞう)などが祀られているそうです。私は今回阿弥陀如来坐像を目にすることはできませんでしたが、秋田市公式サイトに全良寺阿弥陀如来像の姿や説明が掲載されているのでぜひご覧ください!

そんな全良寺の境内に官修墓地があります。

 

全良寺官修墓地とは秋田市公式サイトによると

慶応4年(1868)の戊辰戦争で戦死した、秋田藩及び16藩の新政府方(官軍)665名(現在約300)を埋葬した墓地です。明治28年から昭和19年まで国と県が管理していたことから、官修墓地と呼ばれています。

秋田市公式サイト

八橋五区町内会の会長の菊地さんによると、戊辰戦争では秋田県での戦に佐竹藩の人だけではなく薩摩藩や佐賀藩の人も応援に来たそうです。そして、現在お墓の数が減少した理由は亡くなった方のお墓がそれぞれの地元へ持ち帰られたからだと言います。官修墓地清掃の開始した年は不明ですが、毎年8月の第1日曜日を官修墓地清掃の日として町内会で代々受け継いできたそうです。

お話を聞いたことで多くの犠牲を伴った戊辰戦争はとても悲しい出来事であり、私達にとって忘れてはならない出来事だと思いました。

そして現代の私たちは当時を経験していないからこそ、官修墓地清掃の日を通して当時の犠牲の大きさを知ることや、その歴史を後世に受け継ぐために墓地を綺麗な状態に保つことが必要だと感じました。

 

汗水流し、手作業で丁寧に

始めて目にした官修墓地はお墓の多さに驚きました。

しかしこれでも当時の半分ほどの数なのです。実際に亡くなった方々の数の大きさを実感しました。

墓地の辺り一面はぐんぐん伸びる雑草で覆われていました。

清掃は休憩を挟みながら約1時間実施されました。清掃範囲は官修墓地内の供養碑へと続く石畳を中心にして、機械を使用せずにに全て手作業草刈りが行われました。

しゃがんで手には鎌を持って勢いよく雑草を刈る方々。その雑草を次々とほうきで寄せ集める方々。それぞれが役割を全うし協力し合った結果、努力の甲斐あって美しい状態へと変化しました。

(上2枚は清掃の様子)

雑草が生い茂っていた石畳とは一変して、光が差すように供養碑へ続く道が現れたようでした。

その後、戊辰戦争で亡くなった方々を供養するための読経が行われました。

当日は猛暑のため、汗水を流しながら一生懸命に取り組まれる参加者の姿が印象的でした。そのうえで、参加者がお互いにお話をしたりして終始和やかな雰囲気で活動されていました。

私も墓地内をほうきで掃く作業に参加しました。

黙々と石畳を掃いても時間内に1人が綺麗にできる範囲は限られるため、やはり大人数で協力することの重要性を実感しました。そして何と言っても清掃完了後はすがすがしい気持ちになりました✨

官修墓地が毎年この時期に美しい姿でいる背景には、地元の人々の努力があるのですね。

皆で歴史ある地を守ろう

官修墓地清掃には、17年以上継続して参加している方だけでなく今年が初参加の方も居られました。

そこで初参加の方に感想を伺いました。

 

最年少の参加者は2歳の男の子でした!暑さに負けず、大人に混じって草を取っていて素敵でした✨

参加者の皆さんが仰るように、これまで参加したことがない方にも是非来年参加していただきたい行事の一つです。親子でも一人でも気軽に参加できる行事です。私自身が初めての参加でしたが年代関係なく温かく接していただきました。

歴史を知るだけでなく、その歴史ある地を守ることにもつながります。

来年の8月の第1日曜日は是非官修墓地清掃に参加してみてはいかがでしょうか?

 

最後までご覧いただきありがとうございました😊

 

全良寺の情報

【住所】010-0973 秋田県秋田市八橋本町6丁目5-30

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