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今回は川尻小学校の歴史について紹介させていただきたいと思います。川尻小学校には私も通っていました。本当に歴史のある学校です。

明治5年8月3日、学制が頒布されたのを受けて、秋田県でも学校開設の準備に取りかかりました。
翌年には、「6歳から13歳までの男女の児童数」を調べさせ、「士族(武士)・平民(一般の人)を問わず学校に入るように」と全戸に伝達されました。
それまでは、士族(武士)の一部の子どもが藩学校で、平民(一般の人)の一部の子どもが寺子屋で学んでいるのがその当時の教育の一般的な姿であったことから、6歳から13歳まで全ての子どもを小学校に入学させることは、今では想像もつかない多くの苦労があったのだと思われます。
ちなみに、川尻村では熊谷三郎右エ門、工藤久五郎という方が自宅で、川尻村の人々に読書や習字などを教えていたそうです。
明治7年9月14日、秋田県南秋田郡川尻村郷蔵屋敷に校舎が新築され、川尻小学校が誕生しました。
当時の校舎の場所は、現在の秋田酒類製造(高清水)のところで、木造平屋建・東西6間・南北4間半・27坪・職員室・教室各1室という小さな学校でした。

その後、明治19年5月1日、川尻尋常小学校と改称。明治35年6月、校舎を改築。平屋建3教室その他合わせて、129坪になり、更に明治41年には2階に3教室増築しました。
大正8年6月10日、高等科を併設し、川尻尋常高等小学校に。大正15年4月1日、川尻村が秋田市に併合した結果、秋田市川尻尋常高等小学校となりました。

昭和16年4月1日、秋田市川尻国民学校。昭和21年4月1日、秋田市川尻小学校と改称されました。
そして昭和31年9月に、現在地川尻みよし町に新築移転し、昭和57年3月27日に改築竣工したのが、鉄筋3階建ての現在の校舎です。

このような歴史のある学校に通うことができたことを誇りに思っています。
最後まで読んでいただきありがとうございました。
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