写真で見る銀世界の川反

雪吹雪の中、通りを歩く人々や行き交う車。年の瀬を迎える川反地区をカメラに収めました。

12月も終盤のある土曜日に、大学を飛び出して夜に秋田市街へと向かいました。道中も大変な吹雪に見舞われ、辿り着いた大町でも顔に雪が吹き付け、視界を遮ります。それでも町には人が集まり、賑わいを見せていました。

今回調査したのは、赤れんが通り沿いの大町4丁目と5丁目、一般に「川反」と呼ばれる繁華街です。秋田駅から西に20分ほど歩いた先にあります。歴史的には、この地域は「外町」と呼ばれる町人の街であり、赤れんが通りは羽州街道に属し、北端の通町は土崎湊と、南端の馬口労町は酒田や山形との玄関口として機能しました。

秋田県で初めての冬を迎えた筆者にとっては、大きな驚きと感動のある冒険でありました。今回は文字よりも写真で秋田市の魅力をお伝えしたいと思います。2024年もよろしくお願いします。写真及び記事作成は佐久間息吹です。

川反の美しさと横浜

この「赤れんが通り」には、旧秋田銀行本店だった赤れんが郷土館や、ねぶり流し館、かつての邸宅など歴史を伝える建物が多く残されています。しかし、そればかりでなく、秋田市最大、北東北最大とも言われる繁華街が広がっています。この街の風景は私のお気に入りです。旭川には枝垂れ柳があり、橋の向こうに飲食店街の看板が見えます。どこか横浜の下町の風景に似ているのも好きな理由の一つかもしれません。

私の出身地である神奈川県の県都、横浜も港町であり、川のそばに飲食店街が広がっています。水面に反射する町並みが川反に似ています。しかし、横浜では滅多に雪は降りません。(つい先日降りました)

そこで銀色に染まる川反を観るために、大学のキャンパスを飛び出して秋田駅を目指しました。

秋田駅へと続く道

奥羽本線の和田駅から電車に乗ります。線路には見えなくなるまで雪は積もり、ホームも積雪でふかふかになっています。私の他に電車を待つ人は居ません。暗闇の中、轟音を立てて強風がホームをすり抜け、段々不安になってきます。対向列車の院内行きが来ると少しほっとします。秋田行きとここで行き違います。

院内行きの先頭車の顔と違って、秋田行きにはどっしりと雪が載っています。秋田駅のホームに居た大館行も然り。北風に乗った雪を浴びてきたわけですね。こうして雪を付けた顔が並ぶ姿は可愛らしいです。

車内には程々に人が乗っていて、改札へと階段を登っていきます。ホームには雪掻きの駅員さん。

秋田駅西口では路面は既に真っ白。車両通行帯の白線は見えませんが、綺麗に列を作って車は広小路へと向かいます。木造りのバス乗り場は氷点下でも温かみがあります。路面にはバスが通った足跡が残されています。

ここから赤れんが通りへと向かいます。

銀世界の川反

四丁目バス停から至近にある飲食店の入口に佇む、なまはげ👹は雪を被っていました。Google マップを見る限り設置されたのは近年のようですが、私は初めて秋田に来たときからこのなまはげを見て気に入っています。雪化粧をしたなまはげは初めてです。

五丁目に入ると、お店の前で雪掻きをする人たちを見ました。酒屋さんは寒い中でも大忙しです。通りで瓶を入れたカゴを紐で引いて歩いていく人がいました。大町五丁目のバス停の近くに、「新政酒造」の大きな看板が出ています。

この青い看板は自ら点灯し、400m 以上離れた竿燈大通りからでもその光が見えます。川反の賑わいを感じる素敵なランドマークだと私は感じています。本当に大好きです。

段々と雪吹雪が強まり、視界が悪くなっていきます。この日はここからバスで大学に戻りました。とても素晴らしい景色を見たと思っています。

12月初頭との比較

この街には12月上旬にも来ました。その時の写真と並べてみました。当時は初雪から少し経ち、路肩には雪がありましたが、まだ路面のコンクリートが見えました。それから数週間で、すっかり秋田は雪に包まれたのですね

遠く離れて

この川反探訪をした数日後には関東に戻り、もう1ヶ月以上秋田には行っていません。東京の喧騒から遠く離れて銀世界の地方都市に戻ることを楽しみにしています。

次回は、かつて当地も掠めた秋田市電について扱いたいと思っています。昨年、宇都宮市に新規開業し新時代の路面電車の地位は確かなものとなりました。秋田ではどのように市電が生まれ、廃れていったのでしょうか。調査します。

関連リンク

戦前の外町の町並みや川反界隈 (秋田市, https://www.city.akita.lg.jp/kurashi/rekishi-bunka/1018932/1018936/1019139/1019154.html)

資料中で使用した航空写真は国土地理院によるものです。

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