【川尻】八橋人形はじまりの地は川尻にある!?

今回紹介させていただくのは、八橋地区の記事でも紹介されている八橋人形です。

八橋人形」とはその名の通り、八橋地区で作られている郷土玩具のことです。なんと、200年以上も作り続けられているという歴史のあるものです。しかし、「八橋人形」の歴史については、明確に記されている歴史的資料がありません。口頭で語り継いできたものであることが多いようです。

その中で、明らかになっているのが「八橋人形」のはじまりの地です。「八橋人形」は18世紀頃、京都伏見の人形師が川尻の鍋子山に窯を開いて土人形を焼いたのがはじまりと言われています。鍋子山は市立秋田総合病院(川元松丘町)付近であり、標柱は川元松丘街区公園にたっています。なぜ、川尻に人形師が来たのかはわかっていません。さらに、人形師は病気で亡くなってしまい、わずか数年で土人形の制作は途絶えてしまうことになります。

その後、八橋地区の和助という人が、窯跡から型や壊れている人形を掘りおこし、参考にしながら新しい人形の制作を始めます。この和助が作った人形が現在の「八橋人形」の原型とされています。

川尻の鍋子山の窯跡から8つの人形が発掘され、秋田県立博物館に保管されています。これらの8つの人形(鍋子山人形)と「八橋人形」とを比較すると、大きく3つの違いがあるようです。

【1】鍋子山人形は八橋人形に比べて小型であること

【2】鍋子山人形は素焼きのままだが、八橋人形は彩色していること

【3】八橋人形は中が空洞になっているが、鍋子山人形は底に穴があいているものはあるものの、中は空洞になっていないこと

最後まで読んでいただき、ありがとうございました!

「八橋人形」について、こちらの記事もぜひご覧ください。「八橋人形」の作り方について詳しく説明されています。

1 COMMENT

二喜ファン

八橋人形は知っていましたが原点が川尻とは知りませんでした。すごーーい♪

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