【中通】いーぱるだより Part2

こんにちは。

今回は前回の記事の続き。東部地域づくり協議会のいーぱるだよりをお届けします。※令和3年1月1日発行のお便りです。

気になる方はホームページページへ 施設案内 東部市民サービスセンター(いーぱる)|秋田市公式サイト (akita.lg.jp)

 

 

 

 

東部地域の人物・事績を訪ねてー3

  日本一の明田富士とその周辺

 

 (前編はこちらから)【中通】いーぱるだより Part1 – まちプラあきた中央 (xsrv.jp)

 

 古地図や資料を見ると、この地には佐竹入部以前に富士太郎という豪族の居館があったと伝えられています。富士はその名残で権現は守り神とみられています。他に大行院、白神神社、薬師、摩利支天などが古くから信仰の対象の対象であったようです。

 

 この明田富士山は、ご本家士山みたいに美しい形でなく今日では木々が生い茂って形がわからない状態になっています。西側斜面は藩政期ころから削り取られ、沼地湿地帯だった手形堀反、南通築地、今の秋田駅周辺などに埋め立てをしたり、農家の人たちあ田んぼの客土に使ったそうです。

 

 長い年月に渡って土取場として山が削り取られ、昔の4分の1くらいになったといわれています。

 

 ふもとには現存する磯前神社(イソザキジンジャ)、庚申塚などがあります。

 

 磯前神社漁労の神を祀っています。かつては新屋の漁師たちが豊漁を祈願したといいます。神社参道に沿って様々な石塚が並んでいます。一番多いのが七庚申、ほかに唐松大神、二十三夜などの石塔があちこちにあり往時の賑わいが偲ばれます。

 

 地域の財産としてこちらの環境整備に努め、みんなの鎮守の森として後世に残していきたいと思っております。

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