こんにちは、
本日は保戸野の歴史シリーズ第二弾!
秋田市の路面電車の歴史についてお話ししたいと思います。
秋田市電
皆さんは、秋田に路面電車が走っていたことはご存知でしょうか?
実は「秋田市電」として、昭和16年から昭和41年の25年間。
秋田には、仙台を除き東北で唯一の路面電車が走っていたんです。
(地図の赤線部分が、路面電車の路線のあった場所)
秋田駅前から土崎港までを繋いでいました。
当時は、秋田市民が秋田駅までいくための交通の要として大変賑わっていました。
保戸野地区も路線に沿った場所に位置しており、
遊びに行ったり、学校や仕事へ行くなど、路面電車は生活の一部になっていました。
馬車道から
そんな秋田市電ですが、詳しく路面電車の歴史を見ていきましょう。
この路面電車はもともと明治時代に通された、
土崎から秋田までを結ぶ馬車道を利用して開通しました。
土崎は昔から城への物資の補給のための港として利用されていました。
そのため物資輸送のために作られた馬車道でしたので、そのままの利用の形で路面電車へと発展していきました。
戦時中、国内有数の産出量でした八橋油田からの石油を運ぶためにもこの路面電車は利用されていました。
戦後は、前回の記事で紹介した通り住宅地開発が進み人が増えました。
同時に自動車とバスの普及で路面電車の利用者は、次第に減っていきました。
そして、昭和41年に全線廃止となります。
どうでしたでしょうか?
これが路面電車の歴史の概要になります!
皆さんは路面電車が残っていた方がいいと思いますか?
私は県外から来て車を持っていないので、
路面電車は残っていて欲しかったなぁと思います。
この路面電車は、私がすごく好きなテーマなので
もう少し深掘りをしていきたいと思います!
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